突破
既成概念を破り、変革と挑戦の姿勢をダイナミックに
JCというフィールドで自己の可能性を突破させよう。
未来福岡の確かな時代を築く為、我々が率先して突破しよう。
ネットワークを生かし、志士と共に果敢に突破していこう。
アジア協働時代の構築へ向け、私たちが突破するのだ。

まずは、私たちが己の殻を破らなくてはならない。

理事長長沼慶也

理事長 長 沼 慶 也

「今という時代」

長引く経済の低迷や政治の混迷と共に、世界における我が国の地位が相対的に年々低下している事は周知の事実です。国の債務は対GDP 比で世界最大となり、急激な公共事業費の大幅な削減も伴って地域経済は悲鳴を上げています。借金を減らし財政を健全化するために、国の税収を増大させるという必要性は理解できても、国民の多くは消費税の増税を現状では受け入れられないという大きなジレンマを抱えています。

ギリシャのような国家の財政破綻の予兆、将来年金の不確実性、リーダーシップ不在のポピュリズムに偏った事なかれ主義の政治の混迷、どれもが国民の不安を助長して止みません。そしてそれらは私たちが生活の基盤とする福岡市も例外ではありません。

逼迫した財政難の影響から、将来への布石となる事業の凍結が相次げば、それらは福岡市の国際都市としての成長を妨げ、その戦略すら危うくしてしまうでしょう。さらにその先に待っているのは、税収の落ち込みと都市経済の空洞化に他なりません。「投資の抑制→経済力の低下→税収の落ち込み→投資の抑制」という、まさに負のスパイラルが残念ながら現実のものとなりつつある今、市民各層の元気はもとより地元経済も閉塞感から脱却できずに停滞を余儀なくされています。

こうした国や地域の現状を目の当たりにして、我々は何をなすべきか、何が出来るのかという思索に我が身を置き、「どげんかせないかんやろ」と行動に駆り立てる魂を呼び起こすのが他ならぬ青年会議所ではないでしょうか。

私は皆さんと共に、この国に於いては依然として「明日を切り拓こうとする意思が青年の中にある事」を世に示したいと思うのです。

「自立のJC 魂」

昭和30 年代、我が国の全労働者の中に占めるサラリーマンの比率は約30% 余りでした。すなわち実に約70% が自営業か一次産業従事者だったといわれます。

その時代の我が国では、何か自己の事業が不振に陥ったり、低迷した時は多くがその原因を自分の側に探し、問題や改善点を抽出して懸命に現状打破のための努力を惜しまなかったといわれています。その心意気や自己追求の姿勢が、戦後経済の飛躍的成長をもたらしたと断言する識者は多くいます。

翻って、現在のサラリーマンは全労働者の約70% を占めているといわれます。

時代には必ず光と影がありますが、いわゆるサラリーマン社会といわれる現在の経済社会の欠点は、誰もが標準化した時代認識や問題意識しか持ち合わせていないということだといわれます。例えば、会社の業績が落ち込めば、1 億総評論家よろしく、それは世界的な経済の低迷が原因であり、政府の対応が拙いといった風に外側に原因を見つけ、傍観者よろしく自己研鑽を怠るといった風潮です。現在はまさにこうした風潮が市民権を得ている残念な時代だと言えるのではないでしょうか・・・

福沢諭吉は有名な指摘を遺しています。

それは「一身独立して、一国独立す」という言葉です。

誰かに頼るという人間ばかりでは社会は腐敗してしまうが、自分が国家を支えようと努力する人間が増えれば社会は繁栄し国家は潤います。為政者が国家予算をばらまき、それで民が助かるという現在の政治の論理は、福沢諭吉ならずとも国民の尊厳と自立とはほど遠い論理である事は明らかです。残念ながら「国がどうにかしてくれるだろう」「日本はまだまだ大丈夫だ」という危機意識からは程遠い楽観的な国民が多勢であります。

「立ち上がれ」「今立ち上がれ」・・・

私はJC 魂の叫びに突き動かされてなりません。

今こそ私たちが共に悩み、共に切磋琢磨していく時ではないでしょうか。

「既成概念にとらわれず大胆に挑戦する。」

日本の青年会議所は戦後の荒廃の中、経済再建の使命に燃えた祖国を愛する青年のやむにやまれぬ情熱、自主性を貫く気概をもって創設されました。

私たち社団法人福岡青年会議所(以下福岡JC)も、1953 年2 月4 日激動なる時代背景のなか創立され今日を迎えています。その歴史を顧みると、常にその時代、また近未来の動向を捉えた中で問題定義を打ち出し、地域にとって意義ある様々な運動展開をおこない、多くの社会貢献を実績として残してきました。

まさしくそれらの歴史を築いてこられた先人の功と、社会からの厚き信頼の蓄積により現在、私たちが日々JC 活動を邁進出来る環境下にあることを決して忘れてはなりません。そして、その諸先輩方の賜物である功績、財産を最大限に活かし、同時にメンバーの高き志、熱き情熱、潜在する「知」「行」を合一すれば、福岡JC は無限の可能性に挑戦できると信じています。その挑戦にあたっては、継承してくべきものと殻を破って進めていくべきものとが存在しているはずです。そこで私が皆さんに是非ともお伝えしたいのは、「既成概念に決してとらわれる事なく大胆に挑戦して欲しい」という事です。

私たちが情熱をもって果敢に挑戦すれば必ずやFUKUOKA は変化します。

私たちの生活や事業の基盤となっている福岡の地域社会はJAYCEE が率先して旗振り役となる事で変わっていくはずです。専門的な知識や経験が必要な時には、あらゆるネットワークを駆使し協力、ご指導を仰ぎ、事業そのものにおいても産官学との連携をはじめ、ビジョンを共有できるパートナーと協働でおこなっていくことで道が拓かれていくことでしょう。

いずれにしても、福岡JC は変革の能動者たらんとする青年の集団です。常に時代の一歩、二歩先を予見し、問題を提起し、時に周囲から無理だ、厳しいんじゃないかと囁かれようとも、信念を携え貫いていく気概を持って取り組んでいこうではありませんか。

夢、挑戦、イノベーション、いつの時代であっても、成長に必要なものは不変であると信じています。そしてFUKUOKA の明るい豊かな社会を創造するのは私たちの使命なのです。

「福岡市のレーゾンデートル(存在意義)は何か」

かつて、九州は「筑紫(つくし)の国」と呼ばれて来ました。それは陸地が「尽きる地」という意味であったそうです。

しかし、この陸地が「尽きる地」(九州)は東北地方の「道の奥(みちのく)」と違って、陸地の先に広大な海が広がり、この海がバインダーとなって外国と繋がっていたのです。

こうした地政学的な特徴を活かしながら、勇敢にも命がけで海を渡り、その先にある諸外国と接してきた先人たちの意思が、現在の九州・福岡を創っているということは誰もが知る歴史的事実です。

いわば、海の向こうにある国々、アジアの国々こそがいつの時代にも我々の可能性を切り拓いてくれてきたのです。こうした認識のもと、日本でアジア諸国と1 番近い政令指定都市福岡市は1987 年に「活力あるアジアの拠点都市」というスローガンを掲げ、海の向こうの諸都市と活発な交流活動に邁進してきました。

福岡JC もその一翼を担い、今では多くの福岡市のアジア政策の中でも最も貴重な財産といわれている「アジア太平洋こども会議」を主管して実施し、今日に繋げている事は周知の事実であり、我々の誇りでもあります。

これまでの20 数年に及ぶ福岡市のアジア目線は、市民交流を発端に文化、芸術、学術という分野に向けられ、その結果相互理解は進み人的資産の形成も十分に培われて来ました。初期のアジア太平洋こども会議において来福した子供たちは、各国に於いて十分なリーダーとしての立場を迎える年代になってきています。

また、世界市場においてもヒト・モノ・カネ・情報が瞬時に国境を越えるボーダレスな
時代となり、BRICS と呼ばれる新興国が著しい経済成長に勢いを増し、国際競争も激化しています。それは日本国内の地方都市にも波及し、アジアを視野にいれた経済、産業、観光などにおける都市間競争が益々激しくなると推測されます。すなわち、現在の世界経済の目玉とも言われるアジア経済の隆盛は私たちが目を背けようにも背けられるものではなくなってきています。経済面で例えるなら1990 年頃の九州経済は東アジアの中堅国1国に値していたものが、昨今のGDP では韓国に2.5 倍もの差をあけられているのが現状です。果たして福岡・九州がアジア諸国、各都市にこのまま大きな水をあけられていてもいいのでしょうか・・・・

「ASIA 2nd STAGE・・・交流から協働の時代へ」

こうした現実を前に、福岡のアジア政策・戦略が必然的に次なるステージを迎えるべきである事は歴史の必然ではないでしょうか。

すなわち、従来のアジア政策を「交流の時代」とするならば、これからのセカンドステージはアジアとの「協働の時代」であるべきだと私は考えています。

「協働」とは相互が生き続けるために経済活動を含む生存行為に於いて「ウィン・ウィンの関係」を構築していく事です。

例えば、映画やエンターテイメント産業はいつの間にか、日本、韓国、中国、台湾、シンガポール等のアジアの国々が共通のマーケットを形成しつつあります。こうした産業活動の中で福岡市がコアとしての役割を果たす事は十分に可能です。

また、中国の食生活に果たす日本の信頼の高い農漁業の役割もますます大きくなってくることでしょう。さらには、ますます拡大するアジア諸国からの旅行者や定住希望者の受け皿としての役割も、九州全域の期待を担わなくてはならなくなるはずです。

昨今ではアジア諸国をはじめとする海外進出にチャレンジする九州の企業、個人事業主も増加の一途にあります。当然ながら文化や慣習の違いなどで幾多の困難に直面されているようですが、そこで勝負できるか否かは我々日本人がそもそも持ち合わせている人間力だといわれています。2009 年に福岡の地で開かれた九州地区大会でご講演頂いた孫正義さんは「何故、君たちは九州にいるのにアジアに眼を向けていないんだ」と熱く語られました。少子高齢化、人口減少の問題を抱え、また青年経済人といわれる私たちこそ、グローバルな視点でアジアの驚異的な成長力を捉え、そのようなグローバル時代で戦える国際人、経済人とは何か、また、未来を背負う現在の青少年が社会人になるその将来を見据えるなかで何を修得しておくべきかを考える機会が必要であると考えます。福岡から一人でもグローバル化の荒波に飛び込んでいき、活躍に期待できるひとづくりをおこなっていきたいと考えています。

「日本の拠点都市からアジアの拠点都市へ」

福岡JC10 周年記念に作成された人間都市宣言では国内の主要な都市が工業都市を目指そうとするなか、福岡市は商業都市を目指すべきだと提言されました。その提言を当時の行政に取り入れられたこともあってか、現在のような商業都市へと発展したと伺っています。現在では国内における経済主要都市、支店経済の都市ともいわれていますが、今後はアジアをはじめとするグローバル企業の支店が福岡に居を構え、アジア主要拠点への確立を目指す時がきているように感じます。その為には税制面などを考慮した経済特区など、海外企業から観た魅力ある施策が必要となってくるでしょう。

私は、東京や上海という1500 万人もの人口を抱えるモンスター都市の中間エリアに位置する福岡が果たせる役割が必ずやあるものだと確信しています。人口減少が進む一方、流動人口をいかに増やす事ができるかも思案していくべきだと考えます。

シンガポールや香港に見る、国際都市の背景には様々な政策が導入されており、その世界的視野をもった計画性とスピード感には圧巻されるものがあります。いずれも金融を中心とした役割が大きな都市力を抱える要因でしょうが、いずれも参考にすべき都市だと言えます。米国に例を尋ねるならば、ボーイング社をはじめとする航空産業やスターバックス・タリーズなどコーヒー産業を抱え、最近ではマイクロソフトやアマゾンなどのIT 企業の進出で賑わうシアトルのような都市の在り方も参考にしてくべきでしょう。また、識者によると、日本が世界に遅れをとる問題点のひとつとして、首都圏への一極集中にあると取り上げています。日本は、世界の主要国において首都圏の経済・文化の比重が最も高いようです。そのような背景において、私たち一人ひとりがグローバル感覚でFUKUOKA を考えていくべきだと強く感じています。

「確固たるアジアの玄関口へ」

昨今の東アジアを中心とした外国人観光客の消費パワーがもたらす波及効果に例を見るまでもなく、その存在感は増大の一途を辿っています。その需要を取り込むことは、消費関連企業のみならず地域にとって大きな課題と言えるでしょう。すでに国内においても、アジア観光客の誘客合戦が活発に繰り広げられています。

その為にも益々の福岡の強み、潜在的ポテンシャルを最大限に活用していくことが何よりも大切であるでしょう。福岡は世界からの認知度が高い東京や京都という都市を目指すのではなく、福岡独自のスタイルを確立させねばなりません。

福岡の特徴とするあけっぴろげで気さくな人間性、人に喜んでもらいたいという市民性は日本国内においても突出したものであり、既存の魅力ある祭り、食をはじめとした様々な文化もそこに繋がっています。いわゆるエンターテイメント感覚が高い地域性として捉え、国内外からの誘客戦略の一環としての新しきエンターテイメント性高きプロジェクトを、福岡の新しいひとつのコンテンツとして根付いていく文化創造事業を展開する必要性を感じます。

そして本年は遂に九州新幹線の全線開業となります。新たな博多駅ビルは、福岡の新たな鉄道の玄関口のみならず、多岐にわたる充実した機能、可能性を秘めた魅力溢れる施設としてこれまで以上に活気あるエリアの起爆剤となるでしょう。当然ながら人の流れが大きく変わるターニングポイントとなることは明らかです。

隣国の韓国でもKTX(新幹線)がソウル- 釜山間で直結されました。すでに就航している釜山- 博多間のビートルやカメリアなどと組み合わせれば、これまで以上の誘客が期待できます。ソウル本社の企業が釜山の支社に寄って、福岡の日本支社にそのまま短時間で移動する、そんなビジネスモデルを組むことも現実的です。さらに、博多- 釜山間の日韓トンネルの実現となれば、鹿児島- ソウル間が一本で結ばれるという雄大な構想に胸が膨らんできます。

一方、航空業界に目を向けると、ヨーロッパのように格安なジェットがアジア間の都市を飛びまわる日も、もう目の前に来ています。中国沿岸部の都市やソウル、香港、台湾などへのビジネス展開も日常的なものとなりつつあります。

世界の各空港がハブ化の競争を激化させる中、福岡空港はハード・ソフトの両面で多くの問題を抱えていると言わざるを得ません。羽田空港が国際線の本格就航に舵を取り、欧米を含む17 都市との路線を結ぶ今、利便性の高いインチョン国際空港に近い福岡空港には何が必要なのか。グローバルな視点から戦略を組みなおす必要があるでしょう。

同じ事は海の玄関口にも言えます。アジアゲートウェイと呼ぶには、そのインフラには物足りなさを感じます。ベイサイドプレイスから国際港ターミナルあたりまでのエリアにおいては、一体的に集約されたエリア開発が必要でしょう。中国からの大型クルーズ船が、貨物船用の港に着岸する光景にも切実な問題が見えます。

今後益々繰り広げられるであろう都市間競争に遅れをとらぬ為にも、ハード面ソフト面いずれも必要と迫られる部分には声を高く掲げ、実現へ向け働きかけていきましょう。より良い魅力ある都市創造を熟慮し、断行していく事こそJC ではないでしょうか。

私たちの次なる世代といわず、今後20 年、30 年の時が経過した我がまち福岡が元気に繁栄している都市であるか、衰退する都市となるのか・・・・

「結びに」

私たちの福岡は、九州の長男坊として九州全域を視野に入れた構想を練っていくことも忘れてはなりません。国内的な課題である地方主権とそれに続く道州制の足音は、アジアの拠点都市としての福岡市に今まで以上の多くの役割と成果を求める筈です。もう、行政が駄目だとか、政治がしっかりしないからだとか、他人のせいにしてせっかくの機会を逃してしまう愚の繰り返しから卒業しなければなりません。

福岡の未来の輝きを手に入れるためには、まずはそういった「機会の損失」が、我々青年の責任である事に他ならない、という自覚を、私は皆さんと共有したいのです。

理想から実践へ、更なる飛躍を図るべくその大きな一歩を共に踏み出しましょう。

共に立ち上がろう、
FUKUOKA の未来をつくるために・・・
市民の真からの笑顔を創出するために・・・
 
我々の責任は重く
未知の領域への挑戦は、決して平坦ではない。
紆余曲折あって、激しくぶつかり合い、
苦悩し、挫折し、また起き上がる。
そうやって結実した時、共に乗り越えてきた者だけに
分かち合える素晴らしい瞬間が訪れる。
それこそが私たちの一生の宝物となる。
私はそう確信している。