下関青年会議所新年祝賀会

昨日は姉妹JCである下関JCの新年祝賀会へ出席した。すでに飯塚JCへも参加させて頂いたが、いずれも現役メンバー、シニアメンバー、そして地域の議員や行政、諸団体のお歴々が一斉に集う会である。福岡ブロック内の多くもそのようなスタイルでおこなっている。テーブルにご一緒させていただいた方から下関のあゆみを掻い摘んで伺った。

下関も古くからアジアとの関係が深く、巌流島で宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い(1612年)以前の1607年に朝鮮通信使が下関入りし、以来窓口的な役割を果たしていたという。本州の玄関口として栄えていったようで、明治38年には関釜連絡線が就航したそうだ。そして昭和17年に世界初の海底鉄道トンネルが開通した。また、まるは球団(現在の横浜ベイスターズ)として居を構えていたりと街はおおいに盛り上がっていたようだ。昨今は経済の低迷もあってか街に元気がないとおっしゃっていた。しかし、以前の活気を取り戻す為、官民あげて動いていくという熱い情熱を感じ、下関JC中村理事長が本年度掲げるスローガン「再生 下関 ~笑顔あふれるまちへ~」と繋がった。JCと行政が同じ方向を目指し、協働でまちづくりをおこなっていくことは非常に心強い限りである。そんな熱い下関を後にし関門橋を渡っていたが、橋が架ったのは昭和48年との事である。いつの日か、ごく自然に博多―釜山間の日韓トンネルを走っている日がくることを考えながら帰路に着いた。


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スポーツ文化創造委員会訪問

昨日はエンターテイメントシティ創造室のスポーツ文化創造委員会が開催された。

ご承知のとおり我が福岡JCではNo1.エンターテイメントシティプロジェクトと銘打った事業として、中洲JAZZやツールドFUKUOKAを実施した。福岡市が目指すべき都市像を考え、地域性や市民性を踏まえた結果として「アジアのなかで最もエンターテイメントな都市を目指そう」となったのである。結果、両事業とも韓国・中国から大勢の参加にこぎつける事が出来た。現在、アジアからの誘客合戦が国内都市間で激化している。他都市との差別化、いわゆる独自のスタイルを築き国内外へ発信していくことは急務である。金子委員長は昨年からアジアシティマラソンの実施へ向け夢を膨らませてきた。東京マラソンやホノルルマラソンに匹敵する福岡・博多らしいエンターテイメントなマラソンである。東アジアは一つ屋根の下で暮らす仲間なんだという想いを胸に多くのアジア市民の参加に期待したいものである。実施までのゴールは平坦ではないであろう。多くの壁にぶち当たることだろう。既成概念を破り、突破していこうではないか!

新拠点 ベイサイドプレイス博多

本年初の理事会が新たな私どもの拠点であるベイサイドプレイスにて執り行われた。

このベイサイドプレイスは当時の福岡市が掲げた「海に開かれたアジア拠点都市」というスローガンに則り、1986年頃、民間勇士の方々が立ち上がり「博多にウォーターフロントを!」と熱い想いを募らせ、福岡市が実行に踏み切ったと聞いている。

完成するまでに5,6年も掛かったらしいが、港湾を開発するのは幾多の規制をクリアにしないという課題が多かったからであろう。

当時は福岡市にとってひとつの集客の一旦を担っていた事はいうまでもない。

私たち福岡JCも以前よりウォーターフロントに夢を描き、昨年のアジア交流首都宣言でも未来の須崎埠頭を描いた。

絵に描いた餅に終わらせることは出来ない。

年月は掛かるかもしれないが、各国の人で賑わうベイエリアを創出する為に旗を振っていこうではありませんか!

新年明けましておめでとうございます。

皆さん明けましておめでとうございます。


2011年度はスローガンに「突破」という二文字に想いを込めました。


既成概念にとらわれず、JCらしく変革と挑戦の姿勢をよりダイナミックに

運動をしていく一年となるように、私自身先頭に立って臨んでいく覚悟であります。


メンバー一人ひとりの力の結集で明るい豊かな社会の創造へむけ、また当然ではありますが、

各々のビジネスシーンにおいても突破する2011年にしていきましょう。


社団法人福岡青年会議所

第59代理事長 長沼 慶也